History
岩手県西磐井郡(現・一関市)花泉町に生まれる。男3人兄弟の末っ子、小学校の同級生は13人というそこそこの過疎地。
地区の公民館祭りで「こいのぼり」を独唱
FFⅢの音楽に魅せられゲーム音楽にハマりだす。スクウェアのゲームのサントラCDはすべて集めていた。
剣道部だったが、中学2年で音楽の松尾伸世先生に引き込まれ、8人でアンサンブルコンテストに出場。3年時も特設合唱部に参加した。
一関第一高校音楽部に入部。顧問は高橋晶先生。部長を務めた3年時には全日本合唱コンクール全国大会へ出場。
1997年に早稲グリやWYCが相次いで地元に来て、多大な衝撃を受ける。
グリーにあこがれて早稲田へ。学生指揮者に就任し、2002年にフィンランド・バルト3国演奏旅行で指揮デビュー。部内劇団「茎」を主宰。
4年間で松原千振、荻久保和明、藤井宏樹、松岡究、田中信昭、辻正行、寺嶋陸也、大谷研二、阿部昌司、井﨑正浩、Matti Hyökkiといった客演指揮者と共演する。
いちのせき市民第九でテノールソロに抜擢。舞台上でこのソロを歌ったのはこれっきり。
大学卒業後は就職せずドイツへの留学を目指したが、受験したすべての音大に落ちる。実力と準備のどちらも足りていなかった。
松原千振氏の誘いで本番3週間前に参加を決意。ここで出会った諸先輩方の影響は計り知れない。以後2010年の解散までほぼ毎年参加。
留学先をイタリアへ切り替え、北部の都市パドヴァ(Padova)へ1年間留学。よい先生に巡り合えて濃密な時間を過ごす。
高校時代からの憧れだったWYCに合格。イタリア('06)、南アフリカ・ナミビア('07)、ベルギー('07-08 Winter session)に参加した。
知る人ぞ知る男声アンサンブル。早稲グリOBの若手で結成し、指揮者を置かずいろいろと面白いことをやった。
新潟('06)、インドネシア('09)のセッションに参加。今でもこの時の仲間とは交流がある。
早稲グリOB団体の一つ。常任の指揮者として任についた最初の団体。
6人組アカペラアンサンブル。アンサンブル歌手として最も軸になる活動をしている団体。
全国各地から集う8人組アンサンブル。結成初年で宝塚のコンクールで入賞。
日本ラトビア音楽協会付属の合唱団。以後ラトヴィア音楽の研究と普及に力を注ぐようになる。
かねてから興味のあった倍音を操る特殊発声を本格的に習い始める。アガリアム合唱団(現・コエダイr.合唱団)に講師兼団員として参加。
第5回JCAユースクワイアで、スウェーデンの指揮者Robert Sundのアシスタントを務めた。
最大の関心テーマである「日本の民謡」を究めるために仲間2人と立ち上げた歌唱集団。自分のライフワークそのもの。
バルト3国の合唱曲を専門に歌う合唱団の指揮者に就任。少人数だが、バルトの文化・歴史・言語とともに音楽を楽しんでいる。
5年一度開催される、ユネスコの無形文化遺産にも登録されているラトヴィア歌の祭典に、合唱団ガイスマとして参加。ラトヴィア人でない外国団体はわずか2団体のみで、アジアからは唯一の参加。
16,000人の大合唱の中で歌った経験は、自己の音楽観を大きく変えてくれた。
サルデーニャ島に伝わる特殊な発声を用いた男声合唱「テノーレス」を現地のグループから学ぶため、コエダイr.合唱団のメンバー6人で1週間島内を周遊。最終日には州都カリアリでライブを行い、店に入りきらないほどの集客。人生初の「バズり」を経験した。
JCAユースクワイア特別編成合唱団で出場。指揮者は再びRobert Sundで、谷郁さんとともにアシスタントを務めた。
2006年から派遣や契約社員として働きながら二足の草鞋で音楽活動をしていたが、思い切ってフリーランスに。その直後にコロナ禍となり、いきなり試される。
特殊発声を学んだ経験から、個々人の「ニュートラルな声」を実現させるための十種の声をセレクト、ボイトレのワークとして活用し始める。
日本とエストニアの合唱団の合同制作、ラトビア人作曲家Evija Skuķe新曲初演、信長貴富『君の川柳』、自分の結婚式の讃美歌などなど…
「オライノエ」と題して、自分の故郷である岩手や東北にまつわるプログラム。満員御礼!
Posted by Taku Sato