エストニア歌と踊りの祭典旅行記

2025年7月上旬、妻と共にエストニアとラトビアを旅行しました。結婚後初めての海外旅行でして、5年目にしてようやくのハネムーン。今回の最大の目的はエストニアの首都タリンで開催される歌と踊りの祭典(Laulu- ja tantspidu)を観覧することでした。

2 July 羽田出発

今回もフィンエアーを利用。羽田初は夜遅くの便で、1日普通に過ごした後に海外に行けるのが最高。

出国前最後の食事は結構いいクラスのお寿司でした。

3 July ラトビアの首都リーガへ

ヘルシンキを経由して朝の8:30にリガ空港到着。前日の夜に羽田を出ているので半日得した気分。

リーガに住む友人で、歌手・指揮者の山﨑志野の家までタクシー。ラトビア放送合唱団のリハに向かう彼女とごく短い再会の挨拶ののち、ちょっと荷物の整理とシャワーをして旧市街を散策。

教会のオルガンを見たり、ラトビア料理を食べたり、自分の物欲を解消するためにあちこちショッピングしたり。午後には志野と合流してカフェタイムと買い物の続き。翌日から急激に気温が下がるため、冬物のジャケットを購入。
夜はスーパーで買った食材で志野邸でゆったりとお食事。旅の疲れを癒すべく早めに就寝。

4 July エストニアの首都タリンへ・踊りの祭典

志野の家で朝食、ゆっくりしていたら9時のバスの時間にギリギリになっちゃって、猛ダッシュでバスに駆け込み。これも旅のスリル(?)。
4時間半かけてエストニアの首都タリンへ。この地で10年以上指揮者として生活する上田絢香ちゃんに迎えられてご自宅へ。旦那さんのともさんと6年ぶりに再会。

夜は、奇跡的にチケットが取れた踊りの祭典へ!エストニアの踊りの祭典を見るのは初めて。衣装の鮮やかさ、コレオのテーマ、音楽との調和、踊り手一人一人の個の美しさに圧倒される。権力におもねるマスゲームでは決してなく、群像としての民衆劇を見た思い。あっという間の感動の3時間。

その後ヤーニ教会へ移動して、和歌山児童合唱団が出演するコンサートの終わりの15分だけを聴けました。エストニアの男声合唱団Hommeがとても上手。三田少年少女合唱団指揮者の小中公平先生とも再会できました。
そこでタリン在住の倉橋亮介さん、マルタから来ていた谷口政弘くんと合流してあやかちゃん宅で日付が変わるまでオフレコすぎるディープトーク(笑)。

5 July 音楽博物館と歌の祭典オープニング

この日は朝から雨模様。日中はフリーにしていて、本当は遠方まで足を伸ばして自然散策、とも考えていたが、旧市街の散策にあてることに。
タリン劇場・音楽博物館、6年前は歌の祭典150周年記念展示に圧倒されたところ。現在は博物館100周年に合わせた特別展示で、エストニアの音楽、演劇にまつわる100のアイテムとそのエピソードを繋ぐもの。どれ興味深く、エルネサクスやトルミス、クレークやカリュステ親子など、合唱人垂涎の展示も。

その後は歌の祭典のパレードを観劇、あやかちゃんが率いるVHKの合唱団とも遭遇!
また「死の舞踏」の絵画で有名な聖ニコラス教会へも。ペスト時代の独特な死生観。
夜は歌の祭典広場へ向かい、オープニングコンサートへ。3万人?近くが一堂に会するセレモニーのまことに圧巻!Mart Saar編曲の「Mis need ohjad meida hoidvad」(通称Leelo)は大好きな曲で、混声合唱で堂々と歌われる様は感動的。オケ曲ではネーメ・ヤルヴィ御大も登壇。
しかし降り続く雨と寒さが厳しく、僕と妻は途中で暖をとりに屋台に避難。多くのお客さんも結構ギブアップしてたか。終演後の混雑を避けて少しだけ早く帰宅し、テレビで中継のアーカイブを楽しんだ。この雨の中3時間歌い続けた歌手たち、凄まじい集注と体力!

6 July 歌の祭典クロージングコンサート

ついにエストニア歌の祭典(Laulupidu)のクロージングコンサート。14時に開演して22時くらいまで続く、バルト諸国の祭典の中でも一際巨大な催し。
吹奏楽に始まり、子どもたちの合唱、女声、交響楽、男声、混声、そして合同の大合唱と編成を変えながら40曲が歌われる。特筆すべきは子どもたちの合唱で、少年合唱(男の子だけ)、児童合唱(小学校低学年まで)、ユース合唱(小学校高学年〜中高生)にわかれ、それぞれが4、5曲を歌うのだが、どれもクオリティが高い!
始まってから4時間くらいは強い雨が降ったり晴れ間が差したりを繰り返す不安定な天気だったが、最後の合同合唱が始まる20時くらいには雨は完全に去っていた。観客も総立ちとなり、エストニアの国旗が会場中にはためく様は、ここがエストニア人が「エストニア」という国を手にし、愛し、守り抜くことを誓う場であることを教えてくれる。
今回の祭典のテーマである「Iseoma」、訳すのが難しいが、ある価値観を共有する親族のような強い結びつきを示す言葉だそう。ウクライナ戦争勃発後初の祭典となった今回、その意義は一層のリアリティを伴っていたに違いない。

歌と踊りの祭典の映像は以下のリンクからアーカイブを見ることができます!

https://jupiter.err.ee/1609730066/xxviii-laulupidu-iseoma-suurkontsert?fbclid=IwQ0xDSwL5EVxleHRuA2FlbQIxMQABHgxgx6i0X4GJrSwLfb8TB33WLd2BBe9kPVF9ZUS0BuEDp-GkHrH-8W314CLg_aem_rQPLRjhd0A0IiGVpWL_56A

6.5 July 熱気冷めやらず…

祭典からの帰り道、日本から交換留学できていて、歌の祭典に歌い手として参加したという沖縄の女の子に遭遇。忘れられないキャラクターだった(笑)。本当に貴重な体験ができたようで、ずっと興奮気味でした。

その後は日本から来ていた友人たちがあやかちゃん宅に集合して馬鹿話したり真面目な話したり。和太鼓の柴田未来さん、小中先生ご夫妻とご一緒できたのがめちゃ楽しかった!
わずかな睡眠時間の後、翌朝7:30にともさんに見送られてバスでリーガへ。車内ではほぼ睡眠。

この後3日間ラトビアにいたけどそのお話は別の記事にて…

合唱

Posted by Taku Sato