我が師、森一夫に

ちょうど一年前、2024年5月19日にテノール歌手の森一夫(もりかずお)さんがこの世を去りました。

交友関係の広い方でしたが、その数年前からあらゆる方面との連絡が途絶えており、皆が心配していた最中での訃報でした。

僕自身も最後にお目にかかったのは2021年の秋ごろでした。その時も、以前のような明るさは影をひそめ、どことなく弱々しくなられていたのを覚えています。


森先生、いや生前と同じように「森ちゃん」と呼びましょうか。ご本人も先生扱いされるよりも、親しみをもってフランクに接してもらう方がお好きな方でした。

長年にわたり東京混声合唱団(東混)のテノールとして活躍、特に間宮芳生や柴田南雄などの民族的作品のソリストとして名を馳せました。東混を定年で退団後もソロ活動や歌唱指南で唯一無二の活動を続けておられました。

「ふれあいの森」と自称するほどに(笑)人とのふれあい、交わりを愛する方でした。そして民謡や合唱音楽に対して、まっすぐな情熱と志を忘れない少年のような人でもありました。

僕が森ちゃんの歌声に出会ったのは高校生の頃。ビクターから出ていた間宮芳生のCDで、コンポジション第一番のテノールソロを歌っているのを聞いたのが邂逅でした。

とにかくかっこよかった!声楽の範疇にとどまらない自由闊達でキレの良い節回し、明るい音色、そして田舎の香りのする不思議な味わい、そのどれもが合唱始めたての若者の脳裏にしっかりとこびりついたのでした。

その後、波多野睦美さんと録音した間宮芳生の『日本民謡集』のCDをのめり込むように聞き込み、何とも変わったこのテノール歌手のファンになってしまったのです。


直接お会いするのはずっと後、2010年になってから。

上野の東京文化会館に東混の定演を見に行ったおり、上野駅内のレストランで偶然森ちゃんを発見。一緒に食事していた指揮者の松原千振先生が仲介してくれて、初めてご挨拶することができました。

記憶では、その場で弟子入りを志願したはずです。(森ちゃんは本気じゃないだろうと思ってか、ハハハ!と笑っていましたが。)

そこから間宮芳生作品や民謡をテーマにした作品の歌唱を習うようになり、歌い方だけでなく常民の歌を歌う根本の心構え、東混時代に出逢われたたくさんの作曲家たちの金言やエピソード、森ちゃん自身の歌手人生までも衒いなく語り聞かせてくださいました。

レッスンもたくさん受けたけど、サイゼリヤでデキャンタのワインを注ぎ合いながらあれやこれやとお話しした記憶の方が鮮明です。森ちゃん、高田馬場駅前のサイゼリアがお気に入りでした。

「ここは安くて美味しいだけじゃなくて、イタリアの名画が壁に飾ってあるのがいいんだよ。まるでヨーロッパに来てるみたいじゃない?」

なんという庶民感覚の持ち主!(笑)

2018年8月26日の誕生日、馬場のサイゼリヤにて

森ちゃんの実演で聞いた作品はほとんどが間宮芳生作品。コンポジション第一番、日本民謡集、セレナード第2番…

その中でもとりわけ印象深く刻まれたのがモノオペラ『侘助の首』(だすけのくび)。

2018年にharmonia ensembleが間宮個展を開いた際にゲストとして森ちゃんが歌ってくれました。昔話を元にした滑稽な怪談噺で、フルート、三味線、太鼓を伴奏として、全編津軽弁で歌われます。

間宮さんが同郷津軽の盟友・森ちゃんのために当て書きした作品。作品と演奏者が一体化したような舞台。

最前列でそのパフォーマンスを見ていましたが、森ちゃんの仕草や歌声に笑わされたり、ドキドキしたりしながらも、終始この1人の歌手の「人間味」に圧倒され続け、終わった時には何故か涙が溢れて止まらなかった。

人間の面白さ、くだらなさ、哀しさ、優しさ、可愛さが一緒くたになって、「森一夫」という人間そのものを観た、魅せられたような経験。

師匠の偉大さを噛み締めると同時に、自分はこんな歌が歌えるようになるのだろうかと絶望すらした瞬間でした。

左から自分、間宮芳生さん、森ちゃん

サイゼリヤで飲んでいる時に、2人ともすごく熱く語り合っていたさなか、森ちゃんが、

「こんな話を真剣に聞いてくれるのはあなたくらいだ。拓さんに会えて、俺はほんと良かったよ。」

と言ってぐしゃぐしゃに泣き出したことがありました。それを聞いた僕もぐしゃぐしゃになってしまって、「いや、森ちゃんがいなかったら今の僕はないんですよ」と返すのが精一杯。あとは2人で泣きながら新しいデキャンタを頼んで酔い潰れ、見事に終電を逃してしまった思い出が忘れられません。

東混時代は“異端のテノール"とあだ名され、飛び道具的なイロモノと見られることもあったようですが、本質は音楽に真正面から対峙し、うたの根源と発展への探究をいつまでも怠らなかった真の音楽家でした。

写真のネガとポジの例えをよくしてくれました。作曲家が書いた譜面はいわばネガで、そこには作曲家の哲学・理念・人生が書法によって映し出されている。ネガをそのまま投射しても反転した画にしからならないのだから、我々演奏家は奏法によって音楽をポジに変換する責務がある。

森ちゃんの奏法には、森ちゃん自身の哲学・理念・人生がはっきりと織り込まれていたと思います。

レッスンの一コマ

間宮芳生さんも森ちゃんを追って昨年12月11日に鬼籍に入られました。向こうでまた新曲を書いてもらってたりして。

お二人への追悼の意を込めて、2026年1月30日に間宮作品の個展を開催することにしました。そして、そこでついに『侘助の首』を取り上げます。

「いつかあなたにも歌ってほしい」と森ちゃんから楽譜をいただいて6年、今しかないと思って心を決めました。師匠・森一夫へのはなむけであり、また挑戦でもあります。

天国にいる森ちゃんに、面白がってもらえますように。

まだまだ果てなく遠いあなたの背中を追い続けます。