大地から唄が起こる ~ビッキンダーズと畑で歌おう2025~

4月20日(日)、神奈川県大船の畑で「ビッキンダーズと畑で歌おう2025」が開催されました。

「畑で歌おうWS」は2023年に始まって今年で3年目。畑を管理している身体教育研究所鎌倉稽古場の皆様のご理解とご協力のおかげで、こうして恒例のイベントとして行うことができています。

今回は11名の参加者があり、その半数が初参加での方でした。以前から興味を持っていてくださってやっとタイミングが合ったという方が多く、注目いただいていることが大変ありがたいです。

過去のワークショップの記事はこちらから。


このワークショップを始めたもともとの動機は、「かつて田畑での労働とともに歌われていた民謡の身体観、声、律動を、その環境と作業の中から再発見する」というところにありました。コロナ禍以降山や海に出かけて歌を試してきた一座の活動の延長線上にあります。

単純に”外で歌う”・”畑作業をする”・”大きな声を出す”ということ自体が新鮮な体験でもあり、その過程で自分の新しい声に出会える可能性が高いというのも、過去の参加者の皆さんの変化を見て確信へと変わっています。

今回は初めての試みとして「裸足で土の上を歩くワーク」を取り入れました。

僕自身がマンサンダルというほとんど裸足に近い履物で越冬したことで、裸足で自然の土の上に立つことの感覚が深まった気がしていて、それをベースに足裏と全身をつなぐワークを考案してみました。

地面に対して恐怖や敵意、警戒があると足裏は反発してしまい、小石や草にちょっと触れただけで痛みを感じてしまいます。それらのネガティブさを、自分の胸や腹、腰から取り除いていって、しかもそれに声を乗せていくと、次第に足裏の痛みは消え去っていきます。

ほんの20分ほどのワークでしたが、参加者の皆さんの自己開示があっという間にはかどり、声も解放されてくるのが分かりました。僕自身も、作業中全く足裏が固くならずに過ごすことができました。

裸足から声への結びつきはまだまだ奥が深そうで、いまも新しいワークを試行中です。これはまた次の機会に。


今回は作業の唄として「畑打唄」(岩手県)と「おぼこ祝い唄」(青森県)を選びました。

「おぼこ祝い唄」は誕生を祝う民謡で、生まれた赤ん坊を親戚一同で囲み、子の成長と健康を予祝する唄です。農作業には関係していないのですが、座員の田村が昨年12月に第一子を出産したこともあり、ビッキンダーズの持ち歌となっていたものです。

子の成長と畑の成長を重ね合わせ、仕事の唄に転用してしまうことにしました。このように、本来とは別の目的のために歌が転用される、ということはよくあることです。(イワシ漁の唄が酒宴での唄に変わる、など)

参加者の皆さんが鍬で地面を起こしながら、無心に土と対峙しながら歌われる唄を聞いていた時、ふと「ああ、これは民謡だ…」と感激してしまったんですね。

座員の日下も全く同じタイミングで、同じことを感じたようで、まさに土から唄(民謡)が立ち上がる瞬間を目の当たりにした、稀有な体験でした。

なんらかの恣意的なしぐさもなく、声に対する衒いもなく、そこにある大地と一人ひとりの身体から、まるで湯気のように自然と立ち昇ってきた音楽。

作曲家の間宮芳生はこう語ります。

「他のどんな音楽によっても換えることのできないよろこびを与えてくれるような民謡に出くわすこともある。(中略)そんなうたはいつも、うたが生活の中で、例えば労働とともにあり、労働にとって欠くことのできない機能をはたしているときや、民俗信仰が民衆の中で生きていたときの、またはそんな息吹を留めているようなうたである。機能が生きているとき、言い換えれば、たとえば労働の場での機能を負って、いわば道具としての役目をしているとき、機能を離れて、時には観賞用になったりしているときよりも、はるかにまじりけのない音楽が息づいているという風に信じられる」
間宮芳生『日本民謡集について』

そうだ、この音を探して、我々は畑に向かったのだ!

ビッキンダーズの目標は民謡を保存することではなく、民謡がある場所に初めて生まれる在り方を知り、体験ことです。それには一座の3人だけでは足りなく、畑という場の空気とエネルギーに、そこに集まってともに歌ってくださる参加者の皆さんの気が加わって初めて実現が可能です。

このワークショップは一座のわれわれにとっても、うたの根源に分け入る大切な機会となっています。

畑作業終了後、豊作を祈念して歌った様子がこちらです。


初冬には収穫祭で再び集います。これからもこの畑が歌によって美しく輝きますように。

民謡

Posted by Taku Sato