今もどこかで あなたは
今日1月31日は、ある方の6度目の月命日。
あれからもう半年も経ってしまった。あっという間だ。
2022年8月2日の夜、友人のFくんから突然の訃報を聞き、言葉を失った。本当の意味で絶句だった。
Fくんから周囲の関係者へ知らせてほしいと依頼され、その後休みなく電話をかけまくった。その日のうちに20人くらいには知らせただろうか。
報せを聞いたみんな、一様に同じ反応だった。驚きで息が止まり、言葉を失い、「なんで?」と問う。
僕も確かに衝撃を受けていたはずだが、何回も何回も同じ悲しい報せを口にするうちに、これが本当に起こったことなのかわからなくなってしまった。
その時は感情に蓋をしていたのかもしれない。涙も出ず、電話の向こうから伝わるみんなの痛々しい感情にグッと耐えているだけだった。
その人とは2004年3月に初めて出会った。
松山で行われたジャパンユース合唱団の合宿と演奏会に、松原千振先生に誘われて急遽参加した時だった
聞けば同じ大学の先輩で、混声合唱団で学指揮をしていたとのこと。僕も同じ大学のグリークラブの学指揮だったので、勝手に親近感を抱いた記憶がある。
日本人二人目の世界青少年合唱団(World Youth Choir)の日本代表でもあり、この合唱団への憧れを一層強くしたのもこの出会いがきっかけだったと思う。
それからは本当にいろんなところで一緒に歌ってきた。
ジャパンユース合唱団、ジャパン・チェンバー・クワイア、コントラポント、八咫烏、Salicus Kammerchor、initium、シグナス・ヴォーカル・オクテット…
飄々としていながら芯が強く、40歳を超えて芸大の院に入ってプロになるなど、尋常でない決断力の持ち主。でも、理想主義者ではなく堅固な現実主義者でもあった。
信頼できる仲間であり、頼りにしていた先輩であり、かつてサラリーマンしながら歌の活動をしていたと言う意味ではモデルであり理想だった人。
今月初めに神戸で行われたジャパン・チェンバー・クワイアの演奏会。一番長く一緒に歌っていた団だったが、初めてその人がいない本番になってしまった。
リハーサル時にはいつも座っていたポジションに椅子を置き、本人が愛用していたジャパンユースの記念Tシャツを置いていた。
コンサートのアンコールで髙田三郎の『くちなし』(今井邦男編曲)を歌うことになっていた。亡き父が残したくちなしの木に成った実を見ながら、父の言葉を思い出す名曲だ。
リハの時からこれはヤバいと思っていた。感情をコントロールできないかもしれない。曲中のソロを担当する友人の加藤さんと「どうにか本番耐えなきゃね」と語りあっていた。
意地みたいなものだったのかもしれない。この曲を泣かずに歌うことが一番の供養だとすら思っていた。
本番では、落ち着いて、しかし必要な感傷と情熱を持って歌い進めることができていた。ああ、これなら最後まで真っ当に歌い切れる、と確信していた。
しかし、詩の最後の一文、
「今もどこかで 父は言う」
に至って、全く声が出なくなってしまった。
息も吸えない。ただただ、ボロボロと涙が溢れ出て来てしまって、目を開けているので精一杯だった。声が、涙で押し潰されてしまった。
終演後の拍手を受けている間も、袖に下がってからも涙は止まらなかった。
最後まで立派にソロを歌い切った加藤さんは、楽屋で声を殺して泣いていた。労うつもりで声をかけようとしたが、何も言葉が出てこずに二人でしばらくさめざめと泣いた。
あの日蓋をした感情が解き放たれて、この時初めて、あの人がもういなくなったということを本当に実感したのかもしれない。
ここにいるはずだった人、
いるべきだった人、
今もどこかにいるかもしれない人、
もうその声を聞くことができない人。
だいぶ遅くなりましたが、ようやくあなたにお別れの言葉をかけることができそうです。
さようなら、西久保さん。
西久保孝弘さん。
一緒に歌ってくれて、一緒に飲んでくれて、一緒に夢を見てくれて、本当にありがとうございました。
今夜は手酌で、献杯。
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