アマチュア・シニア男声合唱団がコロナ禍で演奏会を開催するまで~後編~

前編はこちらから。

対面練習の再開、演奏会開催へ(’21年7月~9月)

実際には少し遅れて7月に入ってから対面練習を開始。この時も毎回練習会場が変わる渡り鳥状態でしたが、場所探しチームの素晴らしい連携でなんとか会場を確保できていました。チームには感謝してもしきれません。

しかし7月には4度目の緊急事態宣言が発令。練習場閉鎖が危ぶまれましたが、幸いなことに予約していた場所はどこも定員の半分以下で、マスク着用などのルールを守れば合唱OKとのことでした。

会場が閉鎖されない限り、練習も本番も決行する。それが幹事長をはじめとする実行委員の方針でした。

練習に参加するメンバーは徐々に増え、会場に響く音もどんどん厚くなっていきます。久しぶりに大きな声で歌ったので戸惑いもあったでしょうが、オンライン練習の効果か、みんなとっても音程がいい(笑)。パートの音もまとまりがあって、今までになくブレンドしてきているのが分かりました。

しかしながら依然として感染者数は減少せず、演奏会を開いてよいものかどうか、本当に直前まで頭を悩ませました。2週間前ですら、可能ならば延期が望ましいという意見が団員から出るほど。

自分たち自身の安心感を得るのが主目的で、本番1週間前に出演者全員のPCR検査も行いました。(結果は全員陰性)

マスクをつけるかどうかは個人の意思にゆだねましたが、ほとんどの人がマスク無を希望。全日本合唱連盟のガイドラインに基づき、それよりもちょっと間隔を広めにとった並びを採用しました。

コンサートは早い段階で入場無料の全席指定とすることに決め、採算度外視・赤字前提で進めました。なによりこんな時期に聞きに来てくれるだけで我々はありがたいのですから。

いよいよ本番!(’21年9月25日)

最高級の音響を持つホール(太田区民センターアプリコ大ホール)にも助けられ、また予想を上回る多くのお客様にご来場いただき、演奏会は大盛会となりました。

東京稲グリが苦手そうだったロマン派宗教曲(メンデルスゾーン、ラインベルガー)はちゃんと形になり、高田三郎の『季節と足跡』は表情豊かな、遊びのある大人の演奏に。

賛助の混声2団体も個性的で、花を添えてくれました。

『どうしたってんだ劇場』と名付けられたメインステージは、テーマバラバラのごった煮プログラムでしたが、どれも「歌うことへの欲求と衝動」を直情的にあらわしてくれる作品ばかり。

男性的な力強さあふれるシーシャンティ、お客さんに言葉と感情を伝えることに徹したミュージカル2曲、全員暗譜でノリノリな「お富さん」、最終リハで感動的な仕上がりになった「千曲川」・・・特に最後の「民衆の歌」は団員による作詞で我々グリーのことを歌い上げ、ラストでメンバーが腕を振る動きをつけると客席から自然に手拍子が沸きおこりました。

あの手拍子を背中で聴いたときはさすがに目頭が熱くなったなあ。

われわれの努力を肯定してくれたような、ねぎらうような、エールを送るような、そんな手拍子でした。

その後第5ステージとしてOB有志4人を加えた愛唱曲・早稲田ソングステージ。この時が一番声が出てましたね。もうこれは早稲田の伝統(笑)。

アンコールは中島みゆき『時代』(信長貴富編)。1年前にリモート合唱で取り組んだこの曲を、ついに生で披露。

練習の時くり返し言ったのは、

「合唱しないで!」
「カラオケみたいに歌って!」
「自分の歌を歌って!」

リモート合唱であらわになった個々人の歌への希求を、1ミリも損なわずにステージに乗せたかったのです。そのためには縦がずれようが、声がブレンドしなかろうが、どうでもいいと。

この曲ばかりは、エンターテインメントではなく、自己へのカタルシスであってほしかった。

いい歌だったなあ。

東京稲グリ、そうまでして君は

演奏は終わりましたが、そこから2週間感染者を出さない、というところまでが演奏会。まだまだ気は緩められません。

本番も大変でしたが、やはり演奏会にこぎつけるまでの準備段階の苦労はコロナ前とは比べものになりません。

友人でinitium主宰の谷郁さんがブログでこのようなことをおっしゃってます。

こんな思いまでして、命までかけて、演奏会をやる意味はなんだろうと何度も考えました。正直音楽に正面から向き合う気持ちにすらなれない中で、こんなに辛いならやめてしまいたいとも思いました。
それでも本番を迎えて音楽の中に自分の身を置いたとき、「こんなに辛い思いをしてでもやるだけの価値がここにある」と心の底から感じました。だから私は、演奏会を行った決断を後悔はしていません。
それでももしまた同じ条件下で演奏会をやるかやらないか、という決断を迫られたら、私は「やらない」という選択肢を選ぶのではないかと思っています。

TANI KAORU Official Web Siteより

演奏会を主催する立場としての複雑な気持ちが、痛いほど伝わる文章です。そして僕もまた同じ気持ちを東京稲グリの演奏会の後に持ちました。

なぜ我々はそうまでして演奏会を開催したのか?

「歌を歌いたいから」      そう、その通り。
「音楽は人生に必要だから」   大事なことだ。
「メンバーの生い先が短いから」 天国行く前にもう一度歌わせたい。

それに加えてもう一つ。

実は11月に予定されていたOB四連(東西四大学OB合唱連盟)の演奏会が中止となってしまいました。大学側が緊急事態宣言中の「校友会活動」の自粛を求めたため、練習が樹分にできないことが主な理由だったかと思います。

校友会の一員であるOB会はOB四連を中止するのに、東京稲グリはやるのか、という意見もあったようです。OB会に所属する団としては、一筋縄ではいかない問題です。

これは議論が必要な話なので僕の一方的な意見だけを述べさせてもらいますが、なぜ大学が一アマチュア団体の活動を制限できる権限を持っているのか、とはずっと思っていました。大学の自粛要請によって、最大限の努力をして演奏会へ向けてつき進んでいた現役学生たちが悔し涙をのんだことに、正当な理由があるのだろうかと。

(現役のグリークラブは、六連、四連など大きな演奏会が軒並み中止となってしまい、冬に控えた定期演奏会でも有観客公演ができるかどうかは大学の意向次第、なのだそうです)

僕の中では、東京稲グリが演奏会を無事開催することで、アマチュア団体であっても生でお客さんに演奏を聞いてもらえる場は手にすることができる、ということを示したかった。そして、是非学生たちにはその場を取り戻してもらいたいし、それを制限している人々にも知ってもらいたい。

大変僭越な、おこがましい願いですが、これから演奏会開催を目指す方々にとって、微力でも後押しとエールになれば幸いと思っています。

そしてこれから

大きな節目を乗り越えた東京稲グリですが、活動はまだ続きます。

具体的な予定は全くなく、白紙のままです。

今は、コロナ禍で休団している団員、今回の定演へのオンステをやむなく断念した団員に、少しずつ練習に戻ってきてもらうことを考えています。急がず焦らず、しかし確実に次のステップへ。

この団の指揮者となって11年。あと10年は一緒に頼んでいきたいですね!