ラトビア有力紙”SestDiena”に合唱団ガイスマの特集記事!
ラトビアを代表する新聞社Dienaが発行する週刊誌“SestDiena"に、合唱団ガイスマが大々的に特集され4ページにわたって掲載されました!
私も指揮者としてインタビューに答えています。
こちらの長大な訳文はガイスマのメンバーでもあり、我々の語学の先生でもある堀口大樹先生(京都大学准教授)が訳してくださいました。先生の許可を得てこちらに転載いたします。
日本の光、ラトビア的に輝く
2023年7月14日 日刊紙Dienaの冊子Sestdiena
ラトビアとのつながりはないものの、ラトビアの鼓動とラトビアの合唱の伝統への大きな愛を持った日本人たち―日本ラトビア音楽協会合唱団ガイスマはそのように特徴づけられる。彼らは、予選で在外ラトビア人合唱団の中で一位の成績を獲得し、今年3度目の歌の祭典に参加した。
イネセ・ルーシニャ Inese Lūsiņa(堀口大樹訳)
「ラトビア、そこに住む人々、自然、歌、言語と歴史が好きなので、またここに戻ってきた」。そう語るのは日本ラトビア音楽協会合唱団ガイスマ指揮者の佐藤拓。ラトビアの歌を歌うたびに、どんどん深く好きになっている」と日本ラトビア音楽協会合唱団ガイスマの指揮者の佐藤拓は話す。
“ガイスマ”というラトビア語で象徴的に素敵な名前を持った合唱団は、3度目のラトビア歌の祭典を体験したばかり。さらに今回は全演目を練習し、大コンサート「清。歌の道」とクロージングコンサート「共に上へ」に参加した。出場権は、在外ラトビア人合唱団と同様に映像を審査員に送って獲得した。
歌の祭典のほんの小さな一部分
日本ラトビア音楽協会ガイスマは日本でラトビアの合唱曲を歌い、広めることを目的に2009年に設立された。しかしその参加者の中にラトビア人は誰もいない。彼らの家族の中にもラトビア人はいないようである。
「ラトビア人でない合唱団である私たちにとって、歌の祭典に参加をすることは大変な名誉でもあり、大きな責任でもあります。ラトビアがあること、ラトビア語があること、ラトビア語の歌があること、歌の祭典のほんの小さな一部分になるこの機会をくださったことに、心から皆さんに感謝しています」。出版されたばかりの「第27回全ラトビア歌の祭典第17回踊りの祭典」には、参加するすべてのアマチュア団体の自己紹介欄があるが、ガイスマの自己紹介欄にはこう記載されている。この10年で3回全ラトビア歌の祭典に参加をした日本人は、心の底から、そして真に歌の祭典の運動に加わっている。
祭典で日本人は見つけやすい。前回同様、パレードでは日本の伝統的で色鮮やかな法被を着ていたからである。一方で森林公園では、ガイスマの女性陣はコンサート用の衣装を着ていた。この衣装はラトビアの民族衣装に着想を得ており、今回の祭典でも衣装は同じだったが、女性陣は、花冠、琥珀のネックレス、リボンなどのラトビア風のアクセサリーをさらに大胆に着飾っていた。「今のヨーロッパで、人々が民族衣装を着て集まるような民族や行事を見つけるのは難しい。これはラトビア人が自分を誇りにできること」。団員たちにそう同意しながら、ベース2の堀口大樹は強く語る。
とても感動的な一体感
歌の祭典のパレードでは雨が時折降ったが、日本からのお客さんたちの感動を削ぐものではなかった。「とても感動的!」そう語るのは指揮者の佐藤拓。この数日後彼はFacebookで、森林公園の大ステージでの1万6000人のラトビア人の歌う喜びに感動の涙を流した、と明かした。「歌それぞれに歴史があり、歌い手や演奏者一人ひとりに人生があり、5年に一度のこの瞬間に、国がひとつにまとまっていることが見える」。指揮者がこれを強く実感したのは、Raimonds Tiguls作曲のRīta un Vakara dziesmaの作詞者であるRasa Bugavičuteの「私たち一人ひとりは音だけど、一緒になるとと歌になる。雷の音のように大地をとどろかせる。私たち一人ひとりは音だけど、一緒になると力になる。拳となってなんでもできる」という歌詞を聞いた時。
佐藤拓がラトビアの歌の祭典に初参加したのは5年前。合唱団が初めてラトビアに来た時は別の指揮者が指導していた。「とても特別な経験だった。歌の祭典の規模がとてつもなく大きいことは知っていたが、自分がその大きな合唱団の中にラトビア人と入ったその時の感覚は言葉では言い表せない。皆と一緒にラトビアの愛国的な歌を歌うのは感動的だった。今回の演目には全くの新曲もあり、中にはとても長い作品もある。これらを全部練習するのはたやすいことではなかった。特にラトビア語の正しい発音の習得。音源をよく聞いてその練習をした」と佐藤拓は言う。彼の日本語の名前は訳すと「パイオニア、道を拓くもの」という意味であるのは、たまたまの、しかし意味のある偶然である。
合唱団の練習は東京だが、パンデミック中はテクノロジーの発展のおかげもあり、ハイブリッドで続けられた。団員らはラトビア国立文化センターの歌の祭典HPによるパート別の音源を聞いて家でも練習。この1年は東京で対面練習をしてきた。彼らの多くは東京に住んでいるが、中には京都や名古屋など他の都市から参加している団員も。例えば日本の伝統的な絵画墨絵師であり、世界的に有名な自動車会社トヨタのビジネスマネージメントのコンサルタントの細見純子は名古屋から合唱団の練習に参加。彼女曰く、超特急列車の新幹線のおかげで名古屋から東京へは1時間半でアクセスできるため、何も特別なことではないとのこと。彼女はガイスマに入団したばかりである。
「今年初めに団に加わったばかり。慌てて演目の練習をすることになった。しっかり練習するために、Zoomで練習の映像をたくさん使った。そうして今ここに!名古屋や東京の合唱団で歌ったり、指揮をしたこともあるが、ガイスマは特別な合唱団。ラトビアの歌と歌の祭典を目的としているから。私にとって歌の祭典は平和と自由の象徴。私たちは喜びと広い愛のために歌う。歌や声は心に届くもの。それは一体感や、人々が一体となる力を感じさせてくれる手段」と細見純子は語る。
ラトビアの鼓動
京都から合唱団に通うのは堀口大樹。彼の役割は合唱団の中でも特に重要である。歌い手の一人であるだけでなく、合唱団の設立に加わったメンバーの一人であり、ラトビア語を理解する唯一の者であるからである。彼はラトビア大学留学中にラトビア語を勉強し、その後ラトビア語の接頭辞について博士論文を書いた。ガイスマの歌い手が歌の歌詞を理解し、正しい発音を習得する手助けをしている。
「ラトビアには何回も来たことがあり、ほぼ家同然のように感じているが、歌の祭典のたびにラトビアは自分にとってさらに近くなる」と彼は明かす。堀口大樹が心からラトビアに関わっていることを示すのは、彼のメールアドレスに含まれているsirdspuksti「鼓動」というラトビア語の単語。彼は新聞Dienaやラトビア国営ラジオを聞いて、ラトビア語を独学でまず学んだ。
「私たちがラトビアの歌に関心を持つのは、ラトビアに豊かな合唱文化があるから。自然と、そこの人々や言語、文化、歴史にも関心が生まれた」と堀口大樹は思い出す。ラトビアの音楽を普及させることで、彼らはラトビア自体を広めている。日本ラトビア音楽協会は2007年から駐日ラトビア大使館と協力しラトビア語の授業を、2011年からは弁論大会を開催している。合唱団ガイスマはまた毎年ラトビア音楽祭を開催し、ラトビア人作曲家の作品の演奏に日本の歌手や楽器演奏者を招いている。
合唱団は新しい歌を練習する際、大樹はまずそれを訳す。合唱団が単に歌の内容を理解するだけでなく、単語ごとの意味も理解して歌えるよう、一語ずつ。難しいのは発音のようで、特に二重母音や開いたeを歌うことである。
この珍しい日本の合唱団は設立当初から、ラトビア語で歌う合唱団であることを明らかに示すためにラトビア語の名称をつけたがった。名称の候補にはサウレのほか、ラトビアの伝説的女性指揮者で、その黄金期に忘れられない日本公演で魅了した女性合唱団ジンタルスを指導していたアウスマ・デルケヴィツァにちなんでアウスマもあった。初参加の2013年歌と踊りの祭典に向けて、ガイスマはアウスマ・デルケヴィツァの後継者アイラ・ビルジニャに協力を仰いだ。2018年にはジンタルスも一緒に日本に招いた。今回はパンデミックにより彼女のマスタークラスは実現しなかった。
大きな試練
ガイスマは祭典初参加の2013年から歌の祭典の全演目を習得している。当時の森林公園でのクロージングコンサートでは最後の3曲にのみ海外の合唱団が加わっていたが、ガイスマは最初から最後まで歌った。ラトビア建国100周年となった2018年の祭典でも同様であった。佐藤拓によると、今回2回のコンサートに参加をするために40曲以上を練習することになった!そのためこの半年は毎週練習をして頑張って準備をしてきた。前述のとおり、名古屋や京都など他の都市からも団員がいるため、それは大変だった。「すでに歌ったことがある、もしくは知っている曲もあってよかった」と指揮者は語る。「2018年はリーガの教会でコンサートをして、日本の音楽を演奏したが、今回は祭典の演目が膨大なのでソロのプログラムを準備する時間はなかった」。祭典開催中の日程も今回は非常に詰まっていた。
2018年夏のリーガでのガイスマのソロコンサートは、日本の音楽を演奏する最初で最後の機会であった。「もちろん日本でもコンサートをしているが、日本の聴衆にはラトビアの音楽しか演奏しない。お客さんは関心を持って聞いてくれる。ラトビアの合唱文化をすでに知っている人もいるが、そうでない人もいる。なので、ラトビアの音楽文化や合唱の伝統に関心を持ってもらえることができてうれしい」と、合唱団がラトビアの合唱音楽に特化していることを強調する佐藤拓。
「私たちは歌の祭典の時だけ活発になるような企画型の合唱団ではない。“日本人は歌の祭典の時に来て、ただ歌って、帰っていく”と思われたくない。もちろん、歌の祭典は私たちが目指す一番高いところ。でも定期的に公演をしたり、ラトビア音楽とは関係のない他の合唱団と一緒に演奏をしたりすることもある。ここ数年は駐日ラトビア大使館が公式の行事(要人来日や独立記念日のレセプション、夏至祭)にガイスマを呼んでくださり、国歌や他の歌を歌う機会をいただけるのはとても名誉なこと。今年は5月初めにコンサートをしたが、それは4月末の予選と重なった。たくさんの曲を練習しなければいけなかった。予選用の映像を撮影後すぐにコンサートの練習を続けた」と堀口大樹。「私たちの課題は予選をちゃんと通過することだったので、練習に追い込まれていた。本当に通過できるかわからなかったので。なので、在外ラトビア人の合唱団の中でガイスマが1位を獲得したことは意外な結果」。
佐藤拓は、最近の東京でのコンサートでラトビアの歌が聴衆に強く訴えかけたことを喜ぶ。「お客さんは生まれて初めてラトビア語とその歌を聞いたが、とても感動してくださっていた。ラトビア人作曲家たちの合唱曲はとても美しいメロディーで素晴らしいハーモニーがあるから。それを聞いた人は皆魅了される」。これまでで団員のお気に入りの曲は「ドラマ性とストーリー性がある」というMārtiņš Brauns『太陽、稲妻、ダウガワ』とJāzeps Vītolsの『光の城』。ラトビアの歌は、その内容、曲調、メロディーで彼らを惹きつける。
みんなここに
国と自治体ができるだけ支援してくれるラトビアのアマチュア合唱団とは違い、ガイスマはすべて自分で、スポンサーの支援なしに何もかもをする。「練習場代も自分たちで払い、ラトビア旅行のためのお金も貯めている。他の国には行かず、ラトビアにだけ来る」佐藤拓はそう説明する。彼が指導する合唱団では様々な年齢の人が歌う。学生から、最近退職をして自由な時間ができた人たちまで。「現在合唱団には29人いて、みんなここに来た」と指揮者は誇らしそう。今回の祭典で最も好きな曲はLolita RitmanisのAugšup dzīvība skanとのこと。「メロディーがとても美しく、とても深い意味がある。私たち日本人も自然、木々、花、水を愛する。これは私たちがラトビア人と似ていること」。なので、指揮者が個人的に好きな親しみを感じるもう一つの歌はJēkabs JančevskisのKokiである。
パートごとに分かれる全体合唱団の中で、日本人たちはどんな気持ちでいただろうか?「ラトビア語がわからない団員は、練習やコンサートで、周りで起きていることやしなければいけないことをすぐには理解できないこともある。なので、ラトビア語がわかる私よりも彼らの方がドキドキしているはず。でも音楽や一体感のおかげで、具体的な状況で何をすればいいか、雰囲気を感じ取っている。また、ラトビア人の歌い手たちはとても気が利いていて親切なので、ジェスチャーや英語で彼らに説明をしてくれる」、と堀口大樹は話す。
祭典で出会った在外ラトビア人の合唱団は、ガイスマの予選の成績を称賛してくれるが、それは日本の歌い手たちの責任感とモチベーションを引き上げるのみである。「私たちはよく称賛の言葉を頂くが、私たちが称賛するのは、この祭典の伝統を守ってきたラトビア人」と堀口は強調する。
晴れていても雨に降られても、何時間にもわたって座って・立ち続けて練習するラトビア人の忍耐強さに、ガイスマの歌い手は、帰国をしても感心し続けている。日本人にとって大きな印象に残ったのは、練習で傘なしでびしょ濡れになった全体合唱団の指揮者たち。帰路、ラトビアのアマチュア合唱と、コンクールが多い日本の合唱が比較された。「競争のために歌わないといけないことがあり、それが疲れることがある。もちろん、ラトビアでも結果を目指して歌うこともあり、歌の祭典中の合唱戦のようなコンクールもあるが、歌の祭典の運動のおかげでこの歌う喜びが残っている」、と堀口大樹はまとめた。日本の友人たちが特に喜んだのは、歌の祭典博物館に設置された、ガイスマ、そして日本とラトビアの合唱における友好関係に関する棚であった。彼らはまたここに戻って来る。歌の祭典の伝統の力と色々な感情にはまった者は、そのまま歌の祭典に残る。彼らは歌の祭典の運動に参加をし、大きな責任感を持ってそれをしてくれる。このように!
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