RAZMONEA事始② ~”常民のうた”とはなにか~
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RAZMONEAや常民一座ビッキンダーズでは、”常民のうた”をレパートリーの中心としながら、日本人の常民的感性に基づいた演奏表現を追求していきます。
そもそも、”常民のうた”とはどういったものなのか。
民謡="常民のうた”ではない
”常民のうた”などという回りくどい言い方をせず、”日本の民謡”と言ってしまえばもっとわかりやすいかもしれませんが、実はあえて別の呼び方をしています。それは、日本において”民謡”という言葉の定義、イメージがあまりにも拡張されてしまい、私が最も興味を寄せる音楽の種類とは違う見方をされてしまう恐れがあるからなのです。
そもそも”民謡”という言葉は、明治時代にドイツ語のVolkslied、あるいは英語のFolk Songの訳語として発明されたものです。その名の通り、民衆の中から生まれた歌のことです。江戸以前には里謡(俚謡)と呼ばれていたようです。
”日本の民謡”と聞いてよく名前が挙がるのは、ソーラン節、よさこい節、江差追分、斎太郎節、最上川舟唄、会津磐梯山、佐渡おけさ、八木節、黒田節・・・などなど。中には、「全国〇〇節大会」のようにご当地でコンテストが開催されるものもあります。民謡大会や(今はそんなに見なくなった)TVの民謡番組などでは、着物を着た歌手が尺八や三味線をバックに、マイクに向かって超絶技巧のこぶしを聴かせる、といった印象をお持ちの方も多いのではないでしょうか。
これらも確かに「民謡」のカテゴリー内にはありますが、舞台芸術として発展し、一定の型や正調をもつ民謡を「ステージ民謡」とび、”常民のうた”とは厳密に区別しています。(この区分けは民謡研究家・竹内勉のものを参考にしています)
ステージ民謡ももともとは”常民のうた”を源泉にもっています。しかし、”常民のうた”が人々の生活の中で歌われるのに対して、ステージ民謡は舞台で披露される、あるいは習い事として歌われることがほとんどです。
「民謡歌ってます」と言うと、たいていはステージ民謡を習っていると思われちゃいます。声楽やってる人が、全員オペラを歌っていると思われるのにちょっと似てますね(笑)。
”常民のうた”とステージ民謡の違い
常民のうたとステージ民謡とは様々な点で違いがあります。
| 項目 | 常民のうた | ステージ民謡 |
|---|---|---|
| 節・歌詞 | バリエーションが無数にある | 決まった節と歌詞がある |
| 伝承 | 口伝され、容易に変化する | 歌い方に型があり、「正調」を重んじる |
| 伴奏 | 無伴奏、またはお囃子の伴奏 | 多くが三味線や尺八の伴奏を伴う |
| 内容 | 常民の生活を切り取った歌詞が多い | お国自慢の歌詞が多い |
| 歌唱形態 | 一人で歌うor集団で歌う | ほとんどがソロで歌われる |
| 性格 | 個人的、コミュニティ内で完結する | 外向きのエンターテインメント |
| 保存 | 環境の変化によって消滅しうる | 保存・伝承されやすい |
ステージ民謡には「正調」、すなわち標準的でオーセンティックな曲のスタイルがある程度規定されています。それは、その曲を広めた歌手の歌いまわしや、よく売れたレコ―ドの歌詞やメロディが一般化されたことで生まれたものです。
決まった型があるので、民謡教室などで教えることができ(独自の楽譜もある)、またコンテストなどで競い合うことにもつながります。またレコードの普及とともに広がったため商業的な側面もあり、コマーシャルソングとして生まれたものもたくさんあります。(ex.最上川舟歌、ちゃっきり節、東京音頭)
新民謡などのように作者がはっきりとわかるものもありますが、多くはもともと”常民のうた”としてうたわれていたものです。ソーラン節などはその最たる例でしょう。演奏として映えるように体裁を整え、パフォーマティブな要素を加えつつ、再現可能な様式を持ったことで、地域を超えて日本中に知られるようになりました。
そういった意味で、歌謡曲やポップスのようであり、ある面では芸術歌曲的な音楽性がステージ民謡にはあるのです。非常に洗練されたスタイルといえるでしょう。
◇
一方の”常民のうた”には「正調」が存在しません。
人々によって口伝され、伝播していくため、歌われる場面、歌う人、方言などによって歌詞もメロディも「勝手に」変化していきます。おそらく歌っていた誰もが、自分の唄こそが本物だと思っていたでしょう(笑)。いやむしろ、何が本物かという考え自体なかったかもしれません。
豊作祈願の田植え唄として歌われていたものが、そのおめでたい内容からお祝いの唄に転用され、それがさらに酒宴の唄になったり紙漉き作業の唄になったりする、ということがよくありました。絶対的なフォルムがなく、非常に可塑性(かそせい)の高い音楽なのです。
集団で歌われることも多いので、地域コミュニティとの密接な関係もあります。おそらくコミュニティの構成員が変われば、つまりよそから人が来た、人が亡くなって減った、といった変化があれば、唄もわずかに変化していたでしょう。
またその歌詞は、お決まりの言葉以外にも歌い手が即興で作って歌われるものもありました。中には下ネタ、くだらないジョーク、悪口、ダジャレなどもあったようですが、残念ながらそういったものは公的な記録にはあまり残されていません。そういった即興性が、常民のクリエイティブさ、したたかさ、生きる活力の表れでもあったはずです。
人と土地、生活の在り方が歌の内容を規定するもの、それが”常民のうた”なのです。
”常民のうた”の種類
ここでは、歌われる場面によって唄を分類した町田佳聲の民謡分類法をベースに記述します。
①仕事唄(労作民謡)
農作業や漁業、林業、製造業など、日々の様々な労働とともに歌われていた唄。労働のつらさをやわらげ、集団の結束を高め、時計のない時代には時間を図る役目もありました。
あらゆる仕事の様々な工程に唄があり、「唄のない仕事はない」といわれるほど、昔の日本は仕事唄にあふれていたようです。
- 例: 酒造り唄、臼挽唄、稗搗唄、刈干切唄(宮崎)、牛追い唄(岩手)など
②祝い唄
結婚や出産など祝儀の場で歌われる唄。長寿や土地の名士の繁栄を寿ぐ際にも歌われ、そのおめでたい内容から、酒宴の席などで歌われます。五穀豊穣や大漁を祈願する仕事唄が、そのまま祝い唄に転用されることも多いです。
「めでためでたの若松様は 枝も茂るし葉も茂る」という、テンプレートのような歌詞が全国各地にみられます。
- 例: 長持唄(東北各地)、祝い目出度(福岡)、伊勢木遣(三重)など
③踊り唄
念仏踊りを起源とする盆踊りなどで歌われる唄です。仏教の思想と日本古来の祖霊信仰が融合したもので、ハレのイベントとして民衆のエネルギーを発散させるような盛り上がりを見せます。
また、アイヌ地域では生活のあらゆるシーンに唄と踊りがあり、輪になって座って歌う「リムセ」という唄がたくさんあります。
- 例: なにゃどやら(岩手・青森)、郡上踊り(岐阜)、河内音頭(大阪)など
④儀礼唄・祭礼唄
神楽、風流、舞楽、延年、田楽、祭文など、寺社芸能として奉納されるものの総称です。シャーマニズム的な祈祷の唄や雨乞いの唄など、神に向かって何かをお願いする唄もこれに含まれます。
厳密には民謡の範疇ではないとする見解もありますが、仏教や神道をルーツに持ちながら、特に現代においては常民(普通の人々)によって伝承されているという点で、”常民のうた”に含めています。
- 例: こきりこ(富山)、小河内の鹿島踊り(東京)、早池峰神楽(岩手)など
⑤座敷唄
宴席で歌われる唄の総称で、江戸後期に生まれた端唄(はうた)とよばれる三味線伴奏の唄や、祝い唄が転じて酒席の定番となったものもあります。仕事唄が労働から分離して単独で歌われるものもありました。
記録はあまり残っていませんが、替え歌や即興の歌詞が多いのも座敷唄のキャラクターの一つです。
- 例: 梅はさいたか(端唄)、おてもやん(熊本)、黒田節(福岡)など
⑥子守唄
奉公に出された幼い娘が裕福な家の子をあやす、昭和期まで存在した子守奉公制度の中で生まれた唄。ただ単に子供を寝かしつけるだけでなく、自分の身の上を嘆いたり、慰めたりする歌詞が歌われます。世界的にも珍しい形の子守唄と言われています。
一方、子守奉公制度のなかった奄美や沖縄などの南島諸島には、愛情豊かに子供を寝かせるオーソドックスな子守唄が見られます。
- 例: 五木の子守唄(熊本)、江戸の子守唄(東京)、奄美の子守唄など
⑦わらべうた
こどもたちが遊びの中で歌う唄です。多くは手遊びや縄跳び、まりつきなどとともに歌われますが、かくれんぼやじゃんけんをするときの掛け声(「かくれんぼするものこのゆびとまれ」のような)などのシンプルなものもわらべうたの一つといえるでしょう。
現在進行形で新しい歌が生まれている可能性があるジャンルですが、遊びの質の変化とともにその姿は大きく変わっているかもしれません。
⑧その他
奄美の島唄や琉球民謡には上記に分類されない恋愛歌や教訓歌が数多くあります。またアイヌには叙事詩ユーカラを節付きで唱えるものもあります。
[番外]語り物・放浪芸の唄
盲目の女性芸人による「瞽女(ごぜ)唄」や、正月に家々を角付けしてまわる「萬歳(まんざい)」、仏教の教えを歌に乗せて語り伝える「節談説教(ふしだんせっきょう)」などがこれに含まれます。物売りの呼び声や江州音頭の口説きなども広義には語り物の唄といえるでしょう。
歌う人間にはある程度の専門性が必要とされ、だれしもが歌っていたわけではない、という意味で完全に常民のうたとは言えないのですが、日常の延長にある唄であること、声色や律動に日本の民俗的特質が色濃いことから、大いに参照すべき唄として位置づけています。
消えゆく唄声たち、だが
”常民のうた”は、明確に「機能としての音楽」です。
仕事唄は労働の効率をあげ、団結を深め、辛苦を忘れさせる機能を持っていますし、祝い唄は豊年や繁栄を神に願う媒介となります。座敷唄は場を盛り上げ、踊り唄にあわせて盆踊りをし、子守唄を歌うことで子供は眠り自分は心が慰められます。唄が何かのよすがになり、依り代となるのです。
上の比較表にもある通り、”常民のうた”は環境の変化によって消滅します。唄が機能として働く場があるからこそ唄が残ってきたわけですから、その場がなくなれば唄はその機能ごと必要とされなくなるのです。
仕事唄は現代ではほとんど消滅しました。人力による仕事が機械や工場にとってかわられたためです。寂しい気もしますが、本来民謡とはそういうものです。
◇
一方でそれ以外の音楽、たとえば現代のポップスやクラシック音楽は、生活の中で機能するというよりも、それ自体が単独で演奏や鑑賞の対象となる点で「作品としての音楽」です。作品であるがゆえに、これらの音楽は時代や地域を超えて広がり、生き残る可能性があります。
作品は残り、機能は消える。
音楽家としては、そりゃあ「作品としての音楽」に力を注ぐほうが実りもやりがいもあるでしょう。機能を失った古いうたをわざわざ掘り起こして歌うことは、考古学か、あるいは単なる懐古趣味にすぎないかもしれません。
それでもなお、”常民のうた”に惹きつけられる自分がいるのはなぜか?
それは、この願いが私を突き動かしているからです。
年月を超えて現代にまで受け継がれた常民的感性を発見したい
そして、現代に生きる我々の常民的感性から湧き上がる新しいうたを歌いたい
消えゆくものを保存することではなく、新しい創造性を見出すこと。それがRAZMONEAでの目標です。
そうして生まれたうたは、それ自体が日々の生活を生き抜くエネルギーの源となるかもしれない。いわば「生きることの機能」としてあるうた(”生活音楽”©木島タロー)に、ヒトがうたを歌う根源的な理由があるのかもしれない。
第2回にしてかなり長文になってしまいました。いやはやいつシリーズを書き終えられるのか・・・。
次回は、常民のうたの「声」について考察しましょう。











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