“オライノエ”の演目たち ~賢治・ケセン語・東北民謡~

前回の記事はこちら。

公演プログラム

当日配布したパンフレットの曲目と解説部分をまず載せてきます。(クリックで拡大)

宮澤賢治の心象風景

岩手県を代表する詩人である賢治ですが、その故郷で活動の拠点であった花巻は僕の田舎から少し離れています。車で2時間ほど。

賢治の話していた言葉は南部方言で、僕の田舎は伊達訛りですから、イントネーションや語彙もかなり違います。やはり賢治も、僕自身のルーツとは完全に同一視できない。

それでも、賢治が世界を見通すその眼差しと、そこから無尽蔵に爆散するイマジネーションには昔から憧れを持っていました。

シンプルで美しい旋律と、無駄をそぎ落としたピアノで賢治の世界を表現した林光の歌曲は、これまで歌ったことがないが、ずっと心惹かれ続けていました。ソング的な平明なものから、長編詩『小岩井農場』をもとにしたやや渋めの作品までを並べました。

このうち「くらかけの雪」と「すきとほってゆれているのは」は『歩行について』という曲集から、「すきとほるものが一列」は『プレイ3』という曲集から抜粋しました。他の曲はクラリネットを伴うものがあるので、いつかまとめて演奏してみたいものです。

なお、一曲だけピアノ独奏で賢治自身の作曲した『星めぐりの歌』(寺嶋陸也編曲)を挿入しました。素朴ながら美しい音使いで、林光の音世界と並べても全く違和感のない流れになったと自負しています。

一番緊張したのは冒頭の「岩手軽便鉄道の一月」ですね。なんといっても途中でリコーダーを吹かなくちゃいけない(笑)。中学以来30年ぶりにリコーダーの練習をしました。

ちなみに「すきとおほるものが一列」は特に大好きになりまして、今でもことあるごとに口ずさんでいます。この曲、もっともっと歌われていていいんじゃないでしょうか。合唱版があればよかったのになぁ。

伊福部昭≪ピアノ組曲≫より 七夕

伊福部昭唯一のピアノ独奏曲で、かなり若い時に書かれた作品。日本の民俗的音素材を用いた作品で、執拗なオスティナートやパターンの繰り返しにすでに伊福部イズムが顔をのぞかせています。

曲としてはかなりシンプルで、選んではみたもののほかのプログラムとのバランスが難しかったのが本音。しかしこの「七夕」は、静かな星の夜と仙台七夕のような浮足立った高揚感が入り混じっていて、薄木さんのピアノによって生命力が与えられたと思います。

ケセンの詩(うだ)

岩手県南東部、三陸海岸中部にある一帯をケセン地方といいますが、そこの方言や訛りを日本語の亜種としてではなく独立した言語としてとらえ、文法や語彙を独力でまとめた方がいます。大船渡市在住の医師、山浦玄嗣(はるつぐ)先生です。

カトリック教徒でもある山浦先生は、聖書の福音書を原典のギリシャ語からケセン語に直接翻訳し、「ケセン語訳聖書」として出版、ローマ法王にも献呈されました。こちらの業績でご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

十数年前にその存在を知り、一方的に私淑していたのですが、その山浦先生の書かれた詩をもとにした歌曲集があると知り、これは自分が歌うべきかも…と狙いをつけていました。

残念ながら作曲者の木村雅信さんは2021年にお亡くなりになってしまいましたが、初演者である内村寛治さん(テノール)のご協力もあり楽譜の入手が叶いました。

今回の演奏にあたり、山浦先生ご本人に直接会って話を伺いたい、そしてこの詩で描かれている大船渡の景色を自分の眼で見てみたいと思い、昨年末の12月30日に大船渡の山浦先生のお宅へお邪魔いたしました。

郷土の偉人と緊張の対面!!・・・でしたがなんともフランクでお話の引き出しの多い方で、あっという間の2時間でした。ケセン語訳聖書の話、東日本大震災の津波の話、最近はまっているというクラフトひもで作る模型の話などなど。お母様やお父様のお話ではこちらが涙してしまうほどのエピソードを、ニコニコとした笑顔で明るく話されていたのが印象深いです。

この歌曲を自身も愛聴しているという山浦先生。楽譜を見て歌いながら(!)、一言一句その発音と詩の背景となる歴史的知見、郷土の風習、ケセン人の性格などを事細かにご指導してくださいました。本当にプレシャスな時間だったぁ。

ケセン語の発音は自分の田舎(花泉町)のものとよく似ているので、発音すること自体はそう難しくないのですが、これを音符のついた「うた」にするにはかなり工夫が必要であることがこのときはっきりしました。特に無声化するシラブルの扱いと、二重母音とされる「えァ」という表記の処理が、楽譜からは非常に読み取りにくい。(作曲者がケセン語ネイティブではないので当然といえば当然ですが)

方言で歌うとき、発声状態もまた変わります。いわゆる普通の歌声、西洋声楽的な発声ではどうにもこの曲の根っこと自分を重ねることができなかった。結果、かなり発声自体も「訛った」感じになりました。これがこの曲の演奏においてふさわしい声なのかどうかはまだこれから自己検証が必要そうです。

各曲の細かい解説もしたいんですが、それだとこの3倍の文量になっちゃうので遠慮しておきます(笑)。ぜひ再演するときには聞きにいらしてください。

間宮芳生≪3つのプレリュード≫

「オライノエ」は僕とピアニストの薄木葵さんの二人の舞台ですから、薄木さんにもソロで弾いてもらうステージを当初から想定していました。

東北にまつわるピアノ曲・・・といって僕が真っ先に浮かんだのがこの曲。東北のわらべうた、伝統芸能をモチーフとした(3曲目だけ山梨の子守唄ですが)性格の異なる3曲のプレリュードで、実演には接したことがないけれどもとても好きな曲でした。

ピアノの弾けない自分にはこの曲の大変さは1割くらいしかわからないんですが、やはり薄木さんも相当な難曲であると言っていました(笑)。それでも彼女のピアニズムによって輝きが発露する作品だと思って、僕から提案させてもらいました。

自分じゃ弾けないけど是非生で聴きたいピアノ曲というのは結構あって、薄木さんがイヤじゃなければ(笑)これからも提案してみたいと思います!

東北民謡歌曲の系譜

常民一座ビッキンダーズで間宮芳生の『日本民謡集』全曲歌唱プロジェクト”まみやまみれ”を(牛歩ながら)進めている僕ですが、間宮さん以外の歌曲化された民謡にもずっと注目していました。

間宮芳生の業績は偉大ですが、その偉大さに至る日本作曲界の流れのようなものも確実にあります。それはすなわち、日本人作曲家が民謡をどのようにとらえ、どうやって芸術音楽に昇華しようと努めたか、という軌跡でもあります。

その軌跡の先に、点線のようにこれからの可能性が暗示されていることを期待しながら、作曲された年代を追うように曲を並べました。

松平頼則(よりつね、1907-2001)は昨年亡くなった現代音楽の大家・松平頼暁(1931-2023)の父。早くから日本民謡、特に岩手県の南部民謡に着目し、そのキャリアの最初期に『南部民謡集Ⅰ』(1928-30)を作曲しました。単なる和声付けや編曲ではない、明確に作品としての格を備えた民謡歌曲として、僕の知る限り最も古いもののひとつであると思います。

52歳で早逝した作曲家・深井史郎(1907-59)は秋田県の生まれ。死の2年前1957年に作曲された『四つの日本民謡』は民謡旋律そのものの引用と、ピアノの大胆なエクリチュールの対比が見事で、特に第1曲は故郷の秋田の民謡を二つ(「田の草取り唄」「田植歌」)組み合わせた美しい佳品。ここで引用されている2曲とも、後年間宮芳生が『12のインベンション』に取り入れているのは何かの縁か。

間宮芳生(1929-)の『日本民謡集』が書かれ始めたのも深井の仕事と同時期。大量の民謡採集録音を聞き漁り、声楽家内田るり子との二人三脚で生み出された『日本民謡集』は、「民謡」といって当時すでに想起されるようなポップなものはほとんどなく、常民が歌っていた生々しい土着のうたを歌曲化しています。今も燦然と輝く珠玉の作品集です。

間宮とともに作曲家集団「山羊の会」に所属していた助川敏弥(1930-2015)のそう多くない歌曲作品の中に、東北の民謡を題材とした『五つの日本民謡』(1971年)があります。岩手、宮城、秋田のよく知られた民謡旋律を、過剰に飾ることなくピアノと結びつける手法は、民謡そのものへの厚い敬意を感じさせます。

間宮芳生に師事し、林光とともに仕事をしてきた寺嶋陸也(1964-)には、2000年代後半から民謡を題材とした作品が多くみられるようになります。今回寺嶋氏本人から楽譜を譲り受け『庄内おばこ』(2012年)を初演者以来二人目として演奏できました。『会津磐梯山』は合唱版の伴奏をそのまま用いた特別ソロバージョンです。ピアノに超絶技巧と豊富なバリエーションが現れるのが、素晴らしいピアニストでもある氏の面目躍如といったところ。

夜公演には寺嶋氏にもご来場いただきました!感激!


まだアンコールのことも書きたいんですが、すでに前回の記事を上回る有様・・・今回はここらでいったんおしまい。

第3弾に続く!!!