“オライノエ”への道

去る2月17日、自身初となるソロ歌唱の舞台「オライノエ」を開催いたしました。

ピアニストの薄木葵さんとのデュオで、二人の出身である"東北”をテーマにしたプログラムで固めました。

会場の小黒恵子童謡記念館は古民家をリニューアルした60席ほどのスペースでしたが、ありがたいことに昼夜二公演とも完売となり、満席のお客様に見届けていただくことができました。

公演タイトルの「オライノエ」は僕の田舎の方言で「私たちの住むあたり」を意味する言葉なのですが、チラシを見た方全員が「オラノイエ(オラの家)」だと勘違いしていました(笑)。まあ意味はほとんど一緒なんですがニュアンスが違うんですね。個別の住処ではなくもっと広い地域を指す言葉。

公演企画の動機

これまでずっとアンサンブルシンガー、合唱指揮者、トレーナーとしてやってきて、43歳にもなって初めてソロの舞台を持つなんて、どういう風の吹き回しかと思いますよね。

周囲にいる仲間たちが積極的にソロの舞台をもっていて、それぞれ自分の音楽を磨いている姿を見ていたのもきっかけでしょう。2022年に薄木さん主催のイベント「わいわいやいやい音楽会」で、自分でソロを数曲歌ったのも引き金になっている。その上で大きな動機は2つあります。

自分自身の歌に真正面から向き合いたい

ボイトレを初めて実に多くの方々の声を見させていただくようになったのですが、レッスンに来てくれる人たちにアドバイスしてあげられるほど自分は歌が歌えてるんだろうか?というのがいつも頭にこびりついていました。

トレーナーとして声に関する処方箋はたくさん蓄えているけれども、自分の歌は聞いている人に何か伝えられるほどの表現力、求心力はあるんだろうかと。

若かりし頃、アンサンブルで歌う歌手になると心に決めてその道を進んできたけれども、それを盾にソロで歌うことから逃げてきていたように思います。

たった一人で人前に立った時、自分はどんな歌を絞り出せるのか?自分に厳しく、チャレンジを課し、自分の歌を時間をかけて磨いていく、その第一歩とすべく意を決しました。

自分の声を生かせるレパートリーを見つけたい

ソロで歌う、とはいっても、自分の好きな曲とかおなじみの古典名曲を並べるのではあまり意義がない。自分の声に合った曲、もっといえば「佐藤拓にしか歌えない」演奏にいずれなりうる曲をレパートリーにしたいと思っていました。

今回のプログラムで言えば民謡と『ケセンの詩』がまさにそれです。

林光×宮沢賢治の歌曲は、おもにオペラシアターこんにゃく座の十八番といえるような作品が並びましたが、クラシカルでもあり演劇風でもあるようなナチュラルな歌唱をしたいと思って選びました。

今回のプログラムはかなり熟慮を重ねた渾身の出来で、おんなじプログラムでいろんなところで演奏したいと願っています。演目を「こする」ことで、それ自体を磨き上げていきたい。

東北を歌うということ

東北出身の音楽家が東北の歌を演奏する、とはありきたりのようですが、そこにはちょっと複雑な思いもあります。パンフレットのご挨拶に書いた文章をここに転載します。

東北に生まれた二人の音楽家が、東北にまつわる演目を選りすぐって、初めてここに舞台を持つことになりました。故郷、と言ってしまえばそれは多分にノスタルジックな感慨をもよおしますが、”オライノエ”はただ安寧の場であるだけでなく、時に厳格に、時にエキゾチックに、そして時に手の届かない星々のように私たちの前に現れます。
これは単に自己のルーツに還る試みではありません。今、ここに、様々な縁に結ばれて立っている自分の、内の内の内まで奥深く潜りこみ、新しい自分の片鱗を探し求める一生をかけた旅の始まりです。その旅立ちを、こうして多くの皆様に見届けていただけることに最高の幸福を感じながら。

岩手の田舎の出身で、常民一座ビッキンダーズのような民謡を歌う団体を主宰し、訛りや方言をあけすけに口にする僕ですが、実は東北の土着のもの(伝統芸能、民謡、民舞など)を幼少時に全然通過してきていないのです。

隣町の友人などは学校の授業で鬼剣舞をやったとか鹿踊りをおどったとか、お神楽のお囃子を体験したとかそんな話がたくさんあるのに、うちの地元だけそういうのがなかった。

だからこそ、土着的な文化、人によって伝承される芸能などに、強い憧れとコンプレックスがずっとあったのです。それは自分の中の、ルーツではないものたち。

一方で、方言や訛りを愛し、誇りに思うことは、幼いころから敬愛してやまない伊奈かっぺいさんから多大な影響を受けています。方言詩の楽しさ、奥行き、そしてなによりその”ことばの響き”の魅力は、幼いころからしっかり耳に刷り込まれていたようです。

今回の演目は、自己のルーツを振り返ることではなくて、むしろルーツでありたかったものへの思慕を衒いなく表現することでした。そのためには自己の声を本当に開放してニュートラルにしておかなくては、それらを借り物でなく自己の中に取り込むことはできないと感じていました。

プログラム

本公演のプログラム以下の通りです。

宮沢賢治の心象風景≫

林光:岩手軽便鉄道の一月
林光:くらかけの雪
林光:すきとほってゆれているのは
林光:グランド電柱
寺嶋陸也・編:星めぐりの歌(pf)
林光:すきとほるものが一列

伊福部昭≪ピアノ組曲≫より

2、七夕

ケセンの詩(うだ)≫
作詩:山浦玄嗣 作曲:木村雅信

1、剣舞(けんべぁ)
2、盛宵闇(さがりよいやみ)
3、鹿踊り(ししおどり)
4、馬っこの墓(まっこのはが)

(休憩)

間宮芳生≪三つのプレリュード≫

Ⅰ、夕日のなかの子供達
Ⅱ、鹿おどりの日
Ⅲ、ひかげ通りの子守唄

東北民謡歌曲の系譜≫

松平頼則:牛追唄・第一(岩手)
深井史郎:田の草取り唄(秋田)
間宮芳生:朝草刈唄(青森)
助川敏弥:長持唄(宮城)
寺嶋陸也:庄内おばこ(山形)
寺嶋陸也:会津磐梯山(福島)

★アンコール
オライノエ≫
作詞:秋元康 作曲:後藤次利 編曲:竹内一樹
(委嘱編曲初演)

ここで各演目の解説(というか選曲意図)をしようと思ったのですが・・・すでにかなりの長文になってしまったため記事を分けることといたします。

いやー話長くなっちゃいますね。公演中のMCも長くて予定よりちょっと押してしまいましたし(笑)。

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