構えあって構えなし~発声の極意?~
梅雨に入ってジメジメした日が始まりましたね。
洗濯できないとか、布団が干せないとかいろいろありますが、気兼ねなく散歩できないというのが一番の悩みですね。先月までは1日1万歩を頑張ってたんですが、今月に入ってからはさっぱりです。
今月は締め切りの迫ったリモート合唱の録音と原稿執筆に追われていましたが、その合間に発声のレッスンをいくつか行いました。
ありがたいことに、同業の合唱指揮者の友人からレッスンの申し込みをいただいています。声についての様々な悩みを共有しながら、発声の基礎的なところをじっくりと掘り下げています。
僕も含め、多くの合唱指揮者は幾種類もの「発声法」「ボイトレ・メソッド」に接して、それらの中から適宜必要な情報を引き出して日々のレッスンの中で実用しています。
ボイス・トレーナーとしては、固定化された●●メソッドという型を持っているほうがいい、というか分かりやすいと思うんですが、声の性質や上達への方法論はほんとに人間一人一人で違います。ですから、人によってそのメソッドが合う・合わない、ということが起きるんですね。
合唱団に集まる人たちもそれぞれ声の質は違いますから、指揮者はマスではなく個々人の声をケアするためには、様々なメソッドに通じている必要があると思っています。
合唱や発声の指導をしていてよく感じることですが、歌唱歴がある程度長い方ほど、声に独特の癖がついていて、音色に変化をつけたり、柔軟に声を操るということがむずかしい傾向があるような気がします。
これまでの歌唱歴の中で得てきたメソッドを、一種の「型」として生真面目に守り続けてきたことの証でもあるでしょう。あるいは「響きを上に!」とか「バスは安定感のある声で」とか「軟口蓋を上げて!」といった指導が、呪文のように意識の中に植え付けられて、最終的には過剰にそういった操作をしてしまっている人も多いと思います。
ところで昨日Yahooを見てたら、「織田無道」という懐かしい名前が目に飛び込んできたので、つい記事を読んでしまいました。
僕ぐらいの世代の方(アラフォー)にはおなじみの数珠デカ霊能力なまぐさ坊主ですが、なんやかやあって90年代の終わりぐらいにはTVからいなくなってましたね。
そのインタビューの中で、「有構無構」という言葉を使っていました。
宮本武蔵の『五輪書』の中の言葉で、「構えはあっても無いようなものである」という意味です。
実は中学時代に剣道をやっていたものですから、剣道とか剣術の教えはよく合唱指導に取り入れてるんですが(笑)、これもまさにその一つだなと。
発声でも、ひとつの構え(型)に固執しすぎると、全体の大きな流れや、その瞬間必要とされている音に、体がついていけなくなってしまいます。
本当に発声がうまくいっているときは、人は構えのことを全く意識していません。
「有構無構」は発声の極意であるともいえます。
ただ、構えを意識しないようにするには、一度構えを極めなければいけない、ということも武蔵は言っています。構えを極めた先に、構えを必要としなくなる次元が現れる。
僕がレッスンの際によく言う「ニュートラルな声」は、もともとはいろいろなメソッド(構え)に入る前に、自分の身体・声をよく観察して、自分本来の声を見つけ出す、ということを目的としています。
ニュートラルな状態とは、あらゆる構えに移行できる自由な状態で、いわば発声のスタート地点です。
ところが、考えてみるとこの「有構無構」の状態は、「ニュートラルな声」の状態にも近いのかもしれません。
つまり、発声のスタート地点であり、またゴール地点でもある。
う~ん、自分で書いといてなんですが、めちゃくちゃ壮大なことを言っているような気がしてきた。
僕のレッスンでは基本・基層に「ニュートラルな声」の状態があって、その上で受講者が求める音質や音色、楽曲にふさわしい声に近づけるように「様々なメソード」を提示しています。
だからもうほんとにいろいろなものがごちゃ混ぜです。一つのやり方には固執せず、あらゆる可能性を模索します。
この「様々なメソード」は僕も日々新しい情報や技を仕入れています。YouTubeも役立つし、周囲の超絶勉強熱心な友人たちから実用的なエクササイズやテクニックを学ばせてもらっています。いくつになっても新しい学習があります。
もちろん、佐藤拓オリジナルの変わったエクササイズもたくさんあります(笑)。
ご興味ある方はぜひオンラインレッスンを!初回割引ございます。
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